「講義」と「講議」

tranquility2004-10-27

ときどき仕事上のメールのやりとりをさせていただく方(50代)が、「講議」という言葉をお使いになる。普通は「講義」ですよねえ。とはいえ、ごんべんつきの「講議」のほうがいかにも学問っぽくていいなあとか思ったりする。「抗議」は「議」なのにねえ(あくまでイメージで、個々の漢字の意味までここでは考慮に入れておりません)。もしかして「講議」も正しい用法なのかと思って、「講議」をJammingで串刺し検索。漢字源だけ(!)にこんな記述がありました。「講議(コウギ)物事の意味を説明して討論すること(=演習[ゼミ]みたいなこと?)」。というわけで、「講議」も誤りではなさそう。というか、「講議」のほうは教える側と教わる側(そもそもこうやってわけることがあんまり意味がないかも知れないけれど)の双方向のやりとりをほのめかしてるってことですかねえ。んで、マンモス教室での一方的な知識の伝授は「講義」。おっ、きれいにまとまりましたね。自分で言ってどうする。ところで、グーグルで「講議」と入れて検索するとたくさん出てきますねえ。ATOK 17 for Mac OS Xだと、「こうぎ」と入力しても「講議」とは出てこない。ということは、「講議」という言葉を使っているひとは「なんでこんな基本的な言葉が変換されないんだ」とぶつぶついいながら辞書登録してるってことか。こんなところにもひとの人生を垣間見ることができて今日も嬉しい。ほんとか。人生いろいろである。