日本語の乱れって

 言葉は商売道具のひとつなので、読んだり聞いたりしたものに対して割と敏感に反応してしまう。といっても、昨今よく話題になる、「日本語の乱れ」についてはそんなに気にならない。正直に言って、(その言葉を使っている本人以外の人間が)そんなに目をつりあげなきゃいけないほどの問題なのかな、と思う。「一万円からお預かりします」だって、「預かった一万円から代金分をいただきます」の変形なんだから(ほんとか)いいと思うし、「ポテトのほうはよろしかったですか」だって別にいいじゃん、と思ってしまう(ただ、自分だったら使わないけれど)。それよりも気になるのは、特定の組織で当たり前のように使われている言葉(で、聞いたこちらが?となってしまうもの)。昨日、出張先の駅でのアナウンス。「**時**発普通電車**ゆき、りくはしをお渡りになり*番ホームでお待ちください」。リクハシ? 陸橋(りっきょう)のことだよねえ。僕はてっきり「陸橋」も誤りで、「跨線橋」だと思っていたのだけれど、新明解国語辞典で「陸橋」を引くと「道路・鉄道線路の上などに架けた橋」とあるので陸橋で正しいとのこと。疑ってごめんなさい。とにかく、「りくはし」はおかしい。何でわざわざこんな読み方をするのだろう。それから、これも昨日。こんなアナウンスを耳にした。「普通電車**ゆき、*番ホームでお待ち合わせください」。お待ち合わせ? *番ホームでお待ちください、じゃなくって、「お待ち合わせください」なの? 待ち合わせ(ランデ・ヴーとルビを振っていただいてもかまいません)。大辞林によると(ついでに言うと、こういうときに「広辞苑によると、・・・」と『広辞苑』の定義を載せるひとが結構いるけれども、創造力なさすぎだ。昨日のダイアリーで触れた戸田山和久さんに『論文の教室』というこれまた面白い本があるのだけれど、この本で悪い論文のイントロの例として、「広辞苑によると・・・」で始まるものが挙げられていたのを思い出した。いまその本が手元になく、正確な記述ではないので、気になる方はちゃんと原典をご確認ください)、「あらかじめ会う場所と時間を打ち合わせておいて、そこで会うようにする」とある。僕は別に電車さんに会いに来たわけじゃなくって(鉄道ファンが電車の写真を撮りに来たのならこの表現でもいいと思うけれども)、電車という手段を使ってどこか遠くへ(別に近くでもいいんですけど)行きたいだけなのだから、「待ち合わせ」は使ってほしくない。それから、電車に乗っているときによく耳にする車掌さんのこんなアナウンス、「**ゆきは*分のお待ち合わせ、*時*発です」。これだって、「**ゆきは*時*発、*分お待ちください」でいいじゃんねえ。「*分のお待ち合わせ」のほうが読むとリズムがいいから、こちらを使うというのは若干の同情の余地があるけれども。僕は鉄道で使われる「お待ち合わせ」には違和感を覚えるけれど、大辞林には「三分の待ち合わせで東京行きが出る」という用例が載っているので、間違った利用法だというわけではないということをつけくわえておきます。それから、乗り物関係は本当にこの手のネタがつきないのだけれど(といいつつこれで尽きた)、福岡空港のアナウンス。2年ほど前だったと思うのだけれど、第1ターミナルで飛行機を待っていたとき、「エアーニッポン**便**ゆきはただいま出発の準備をとりおこなっておりますので、機内へのご案内時刻は・・・」。とりおこなう? 卒業式じゃあるめえし。とりおこなうは漢字で書くと「執り行う」。式典や祭礼の実施のときに使う言葉であって、飛行機の出発準備に使うのは変だ。ただ、「出発の準備をおこなっておりますので(あるいは、出発の準備をしておりますので)」で十分なのに、なんで「とりおこなう」になったのか。これは興味をそそられるリサーチ・クエスチョンであります。なんてね。日本語の乱れよりも、ちゃんとした場面で真面目な顔して使われるおかしな表現のほうが気になる今日この頃でありました(最後に。「今日この頃」で文章をしめるというのもおかしい。そのほか、「・・・なのはわたしだけだろうか(いや、わたしだけではあるまい)」、「・・・なのはいかがなものか」、いわゆる乱れた日本語を使うひとよりも、したり顔で紋切り型の表現を使うひとの方が嫌だ。こういう表現を使うやつに日本語の乱れを批判する資格はないと思うぞ)。以上、門外漢ながら述べさせていただきました(じゃ述べるなよ。この言い訳的表現も嫌だ)。乱文お許しください(んじゃ推敲しろよ。これを使うひとも嫌だ)。自らを戒めるために。