昨日のできごと

 昨日は休み。午前中、母から頼まれていた和菓子の配送依頼をするために駅へ。その前に古本(『AERA』のバックナンバー)の代金の払い込みをするのに、駅ビル内の郵便局へ行く。窓口で払込票を出すと、ここは郵便の窓口、貯金関係の業務は11時から、と中年の女性職員が言う。この時間帯はATMで、と。居丈高な言い方に少しむっとしながら列に並ぶ。僕の番がきて、払込票をATMに挿入する。画面の指示にしたがい、払込先の口座番号を確認し、払込金額をボタンで打ち込み、支払い方法は現金かキャッシュカードかを選べというので、「現金」をボタンで選択すると、右側の現金投入口がパカッと開く。支払い金額は手数料込みで400円。小銭入れに100円玉がちょうど4枚あったので、何も考えずに投入口へ入れる。しばらく経っても、投入口の蓋がしまらない。おかしいと思って画面を見ると、硬貨での入金の場合は「硬貨」キーを押せ、とある。このときになってようやく気づいた。紙幣を入れるべきところに硬貨を入れてしまったのだ。軽くやばい、と思って紙幣投入口の中に指を彷徨わせたのだけれど、100円玉4枚はもう手の届かないところに入り込んでしまったようだ。「取消」キーを押し、窓口へ。さきほどの中年女性にその旨をつげると、「お前はバカか」というような顔をしたので、自分の不注意を棚にあげて、こいつ殴ってやろうか、とは思わなかったけれども(暴力反対!)、すぐに出てきた男性の職員の方が、すぐ(機械を)開けますねー、と言いながら出てきてくださったので救われた。よくこういう方いらっしゃるんですよー、と、「あなたは悪くない」とフォローされているのか、「あんたも阿呆の一味だね」とバカにされてるんだかわからないことを言われながらてきぱきと作業をする職員。400円玉はあるべきところ(不純物濾過装置?)にあり、すぐに返してもらった。さっそく払い込みをしなおす。今度は僕の横に、その職員がべたーっと立って、僕が間違った作業をしないかどうか見ている。なんかやだな、と思いながら払い込みを済ませた。それにしても、注意力散漫な私。とはいえ、ちょっと言い訳をすると、昨日使った郵便局のATMは右側に紙幣投入口、左側に硬貨投入口がある。けれども、たまに使う地銀のATMはその逆。つまり、右側に硬貨投入口、左側に紙幣投入口がある。ATMで硬貨を入金することなんてほとんどないけれど、混乱の一因はあるような気がする。気がするだけだけれど。教えてください、ノーマン先生!*1と叫びたくなるようなできごとでした。郵便局を出て、和菓子の配送依頼をしたあと、同じビル内の書店へ向かう途中、地元の養護学校の生徒が職業実習で作った物を展示販売するコーナーが設けられているのが目に入った。素通りするつもりだったのだけれど、売り場の隅っこにひとつだけ売れ残っていた巾着袋が目に入る。草木染めの、カフェオレ色の布に、円の模様をあしらったもの。それがとても気に入ってしまい(一目惚れだ)、即購入(500円也)。出張時にPowerBookのACアダプターやらなにやら細々としたものを入れるのに便利そうだ。それから、ブックオフに寄って、保坂和志さんの『明け方の猫』(中公文庫)を買って帰宅。午後、書棚からノーマン(野島久雄訳)の『誰のためのデザイン:認知科学者のデザイン原論』(新曜社)を取り出して読む。ATMでの失敗、自分は決して悪くないと確信する(ほんとに?)。これだけ痛快な学術書も珍しい。

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)