ドコモショップ

 今日はまさにきんかんなまなま。念のため翻訳しておくと、路面が凍ってつるつる状態。駅に向かう途中、スリップする車を見かけた。おそろしい。こちらはなんといっても車社会なので(驚くなかれ、居酒屋に駐車場があるのだ)、車の購入を考えたこともあったけれど、やっぱりやめよう。車だけでなく、歩行者も滑る。今朝は何度滑って転びそうになったことか。駅近くの横断歩道では、ちょうどわたりきったところでよろけてしまい(転ばなかったけど)、少し離れたところでティッシュを配っていたドコモショップの女性が「大丈夫ですか?」と声をかけてくださった。恥ずかしくて、一瞬何と応じればよいか迷い、びっくりしたとか大丈夫ですとかありがとうとかすみませんとか、何と言ったか忘れてしまったけど、言葉にならない言葉を返し、ティッシュをいただいてその場を離れた。「君に見とれていて、つい」とか言えばよかったのに(うそです)。今日は県内某市まで出張。行きの車内では、すぐ隣に座った女子高校生が、トリノ五輪での原田選手の失格について話をしていた。「200グラム足りなかったって。何が足りなかったかわかる?」「?」「脳だって」「ははは(笑)」。。。。ひどい。ひどい言われようだ。原田選手にははなはだ失礼なのだが、この高校生、うまいこと言うなあと思ったのは内緒。
 帰りの車内でオースターの『The Brooklyn Follies』を読み終えた。読み終えて目を閉じ、しばし物語の余韻にひたる。この、さわやかな、それでいて濃ゆい読後感(矛盾しまくり)。この物語は「I was looking for a quiet place to die. Someone recommended Brooklyn」という魅力的な書き出しで始まり、2001年の9月11日の午前8時、すなわち、ユナイテッド航空の旅客機が世界貿易センタービルの北棟に激突する少し前に幕を閉じる。主人公は59歳の男、Nathan Glass。保険会社を退職、妻とは離婚、医師から肺癌と宣告されている。こう書くとまるで暗い、救いようのない話のように思われるかもしれないけれども、そうではなくて、大学院をドロップアウトした甥と再会したことをきっかけに、彼は徐々に生彩を取り戻してゆく、喜劇(人生を肯定的に描くという意味では)といってよい。物語のラストで、「One should never underestimate the power of books.」とNathanは言う。この字面だけ追うと「いまの若い者は本を読まない。もっと読まなきゃだめだよかえるくん」という年長者のぼやきと変わりないように思えるけど、実に味わい深い言葉だ。死ぬ前のカフカのエピソードを読み、Nathanの語り(narrative)を聞いたあとでは。そんなことを思う帰りの車内。駅に着き、本屋に寄る。『スタジオ・ボイス』の「00年代小説の読み方、今最も面白い小説150冊!」、『デザインの現場』の「デザインを読む! ブックガイド300」を立ち読み(がまんがまん)、他に、金原瑞人『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』(牧野出版)、松浦弥太郎長尾智子『独白ニュースレター』(DAI-X出版)をチェック(我慢我慢)。緊縮財政。歳入は増えないのだから、歳出を減らすしか。

Brooklyn Follies

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翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった

翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった

独白ニュースレター

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