オリンピックおしまい

tranquility2004-08-30

午前3時から閉会式とのこと。最後までほとんどみなかったなあ。(こういうことを書くと顰蹙を買うのは承知のうえで書くと)そこまで熱中してオリンピックをみる人の気持ちが純粋にわからない。サッカーのワールドカップのときもそう思った。けど、みんな一生懸命応援してるし(顔に絵の具を塗ってる人もいるし)、自分だけが変人なんだろうと思ってた。なので、池田晶子の以下の文章を見つけたときは嬉しかった。

なんで、サッカーごときが、さほどの一大事であり得るのか。/つくづく私には不思議である。なんで、世の人は、サッカーごときにあんなに熱くなれるのか、なっているフリをしているだけなのか、そこのところの心性が、私にはまるきり理解できない。/けっして責めているのでなく、また見くだしているのでもなく、たんに、理解ができないのである。/これは要するに、私にはそのような感性がないという、それだけのことなのだが、なぜ、そのような感性がない人のほうが、世の中では少数なのか、これはこれでまた不思議なことなので、そこからまた考えごとを始めたりするわけである。/先日亡くなられた作家の中村真一郎氏が、やはり同じようなことをエッセイの中で述べておられた。テレビや新聞のニュースでは、なぜスポーツ関連にあれほどのスペースと時間を割き、なぜ文化や芸術に関するニュースを、もっと報道しないのか(pp.144-145)
(出典)池田晶子「その楽しみ方がわからない」、同(1998)『考える日々』毎日新聞社所収。

この世の中には、室伏広治が繰り上がって金メダルをとったことよりも、今年の谷崎潤一郎賞堀江敏幸の『雪沼とその周辺』(新潮社刊)が選ばれたことのほうが大きい(めでたい)ニュースだと思う僕みたいな人間がいたりするんですよ、はい。限りなくゼロに近い少数であることも十分承知しております。まあ、ほっときゃいいのにこうやって意識してるところがとほほなのだが。

考える日々

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